《旧行合隧道》(仮称) 【5:石の巻き立てだから測れました】

探訪日:2009.11.27
提出日:2009.12.16
 
廃隧道を発見し満喫後にレポート&動画を作成しながら…“肝心な部分を撮ってなかった”とか“アレどーなっていたっけ?”なんてよくある話。f^^;
ハイ、この5ページはそんな“忘れ物”をとり戻す事になります。

という訳で…
2009年11月27日12:15、また北側坑口の前に来てしまいました。

今日は生憎の曇り空で…向こう側からの光が弱くてちょっと嫌な感じです。

でも中へと入ってしまうんですけど。^^;

Σえ゛ぇ!?
その時、天井に「カサカサカサ…」って微かに聞こえくる!?(本当に聞こえました)
恐る恐る天井を見上げる…
(ライトで照らしている所を。)
慌てて隙間に隠れても見えちゃいましたよ、ゲジさん達。(右側)
この前(15日)はカマドウマしか居なかったと思ったけど…今日はゲジゲジの日。^^;
その左には石の間に開いた空洞です。
ズームで撮ったので石が薄く見えますが、実際は数十センチの厚みがあります。もちろん奥には岩盤が見えています。
毎度お馴染みのゲジゲジ祭りです。
廃隧道にはやっぱりコレが居なくっちゃ!(言ってみただけ。)
頼むから落ちてくるなよ…。別に悪い虫ではないんですけどね。

洞内延長のほぼ中間地点です。

へ?洞床のあれ何~に?ですって?
そ・れ・は・ね…メジャー(コンベックス)です。
今日は隧道の幅と延長を測りに参りました。
洞床が平ではないので数%長めに出るのは気にしない事にしましょうネ。

で、その測定結果は《こーなりました》。

次は、延長………

これをメジャーで測るのはちょっと…^^;
しかし、今日は100mとか測れそうな巻尺みたいな物とかは持っていないですし…
そのまま回転の悪い頭でボケ~と考える…

ボケ…………………………………………
(陽が暮れちまうぞ!)

あっ!そーだ!思いついた!
巻き立てに使われている石ブロックに注目!
天井も壁も皆同じ大きさの石ブロックです。
これがビッシリ並んでいる訳ですから…
その個数を数えれば楽々に長さを求める事が出来ますよね!
誤差は…3.5mのメジャーで何回も測る場合を考えてもあまり変わらないでしょうし。

さて、その石ブロックの大きさを測りました。
もちろん念の為、離れた5箇所を測ります。

すると…石によって多少誤差があるものの、
横60cm×縦30cmとなっていました。
そして、石と石との間は1cmでした。
それをメモして…
(直ぐに忘れるから)
北側坑口の前です。
上のデカイ画像でもお分かりいただけるかと思いますが…アーチ還の『要石』はその他の『迫石』とは意図的に違う形にした様です。
   【名称等参考にしたもの】
   廃道本(実業之日本社)
   96ページ:隧道鑑賞のススメ

その要石を1つ目として反対側(南側)坑口のアーチ還まで石の数を数えてみましょう!
っていうのが本日の企画でありま~す。^^
という訳で…
要石のラインを追いかけて天井を見ながら洞内を進みます。


1・2・3・4・5・・・・10・・・・15・・・・20・・・・・
・・・・35・・・・40・・・・・・・・・50・・・・・・・・・・・
(途中でコケて数が分かんなくなちゃった!)

もう一度…1・2・3・・・・・・・・・・・50・・・・・・・・
・・・・・・81・82・・・・(ヒェックショーン~★)
あれ?どの石まで数えたっけ?
そんなこんなで…やっと南側坑口に到着!
実際には念の為に3回数えました。
(あ゛あ゛…首が痛い…)
では結果発表でーすっ!

北口の要石→南口の要石まで石は87個。
1回目:87個、2回目:88個、3回目:87個
だったので87個にしました。

という事で…
60cmの石が87個並んでいます。
その石と石の間には1cm隙間があります。

それを式にしますと…
60(cm)×87(個)+1(cm)×87…
図にしますと…(■=石、┃=石と石の間)
■┃■┃■┃■┃■…■┃■┃■┃■
おっと!最後のは要らないから…
■┃■┃■┃■┃■…■┃■┃■┃■で
60(cm)×87(個)+1(cm)×86ですね。

で、答えは5306cm。
つまりこの隧道の延長は53.06mですね!

ところで…
明治の地形図では同じ様な延長の隧道が2つ続いている様に描かれていましたよね。
思い出す

明治の地形図で下側の隧道こそが
  隧道No.471…浜行川(隧道)
  延長41m、幅員5m、限界高4.5m、
  竣工年度1951(昭26)、覆、舗装
の『濱行川隧道』で今でも現役でしたよね!

そして…今、延長を測った隧道が53m。
明治の地形図上ではほぼ一緒の長さで描かれそうですよね。

以上の事から、明治の地形図で上側(北側)の隧道こそが今回の『旧行合隧道(仮称)』で間違いないと思われます。

あぁ…いづれは完全に埋まってしまいそう…

その土砂を下りながらの洞内です。


延長は53mと短いものの、
幅が3.5mで高さ…(あっ!測り忘れた!)
高さは石ブロックの縦30cmを考えながら…
画像上に線を描いたりして求めると、
(3.5mの幅員で)3.5m位でしょうか。

これではモータリゼーション時代に対応できず、廃れてしまったんでしょうね。

という事は…
『濱行川隧道』は明治の頃から幅5mはあったのでしょうか?
だからそのまま使われ続けているのでしょうか?しかも拡げられる事もなく…。
(コンクリ巻き立て時に多少は削られた?)
 
千葉県内で私のこの冬最初の探索であり合同調査は大成功♪でした。
私の実家には『ワン!』が暫らく居なくて今は『ニャー』が居るけど…ワンもイイですね♪
いやー今回は久しぶりに驚きました。^^/ まさか!明治隧道がここに眠っていたなんて…。
ところで、『旧行合隧道(仮称)』の石の巻き立ては明治時代からそうだったのでしょうか…???
今時の道路構造物は60cm規格がある(U字溝とかも)ので…石ブロックはメートル法施行以後の製品らしいです。
恐らく明治時代には素掘隧道で、その後にモルタルの普及した頃に石で巻き立てられたと思いますがいかがでしょうか?
あれれ?モルタルってセメントが発明される以前から石灰モルタルとか在ったんですって?さぁ…困りました。その辺りは謎のままです。
申し訳ありませんが、文献などはまだ調べておりません。(誰か教えて下さーいw)

最後に…
本レポート2~4ページまではmax氏からいただいた画像(特に記載無し)も使用させていただきました。max氏、ありがとうございます。
そして…この探索のきっかけになる情報や地形図を提供して下さいました学生服のヤマダ氏、毎度ありがとうございます。
それと、今回はレポート作成時間の都合上…旧隧道も描いた地図は描きませんでした。(たぶん場所はお分かりになると思います)ゴメンナサイ。

長くなりましたが…旧行合隧道のレポートはこれで終わりです。ご覧下さいましてありがとうございます。
 
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