《旧行合隧道》(仮称) 【1:この2つも明治隧道なの?】

探訪日:2009.11.15
提出日:2009.11.27
 
目的物件の地図
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千葉県の東側を海岸沿い通る国道128号線。
その中でも鴨川市~勝浦市辺りに在るトンネルは、“明治から在った隧道”がちょっと手を加えられただけで今でも現役な物件が数多くあります。
今回はそんな“明治隧道”だと思われるトンネルの中で「うん!?こ、こ・れ・は…!!」って、ちょっと気になっていた物件を見に行きました。

ところで、今回の探索のきっかけは…
ハイ、毎度お馴染みの『学生服のヤマダ』氏から(他の物件の情報と共に)いただいていた明治の地形図を眺めていたら…
自然にその地形図右下の2連隧道に目が行ってしまいました。
で囲んだ所です。)
という事で…
上のデカイYahoo!地図で青いマークの所がそれに該当すると思います。

因みに、この明治の地形図に描かれている左下の隧道ももちろん現存しておりまして…
私も隧道を調べる時によくお世話になっております『ORJ』の『隧道データベース』で、
『隧道No.468』の『小湊隧道』ですよね。
そういえば…いつだったっけ?
THE 鉄腕DASH』で『だん吉』もこの隧道を通っておりまして、北側から入洞の瞬間…
車内にはTOKIOのメンバーの「こえー!!」が印象に残っていますが…覚えてます?

ハイ、早速現地に到着です。これから右の地図で描かれている2本の隧道を下側の方から見て行きましょう。
右の地図で[+]の位置に立って撮影しました…。もちろん隧道の方を向いてです。(←当たり前だってば。)
では、まず下側のこの隧道。ここもよくあるパターンで…2車線の道路が隧道部分だけは1.5車線になっております。
ここが旧道化してからかなりの時が経ちましたが…線路の北側にバイパスが出来る前はここで度々渋滞が発生した(幼少の)記憶があります。

まずは扁額のチェック。
ツタが邪魔して読み難いんですが…『濱行川隧道』って読めます。


もう一度お世話になります…『ORJ』の『隧道データベース』で、
[道路種別]に“一般国道”、[路線名]に“128号”(←数字は半角で)
と入力して[送信]ボタンを押してみました。
すると…

  隧道No.471…浜行川(隧道)
  延長41m、幅員5m、限界高4.5m、竣工年度1951(昭26)、覆、舗装

と出たのがこの『濱行川隧道』で間違いないと思います。
大型車が来たらおっかないでしょうね。^^;
あっという間に隧道を抜けちゃいました。
振り返って見るとこんな感じです。


先ほどの『濱行川隧道』を抜けたら直ぐにもう一つ隧道が現れます。
今度はそれなりに大きい穴です。
もう一度、扁額のチェック。
今度は邪魔が無くて読み易いんですが…
なんて読んだら良いのでしょう…?
近くの『行川アイランド』の“行”なので『なめあいずいどう』でしょうか。
(後ほど読み方は判明します。)

(余談ですが…)
私が高校生の頃(1993年)遠足でも行った『行川アイランド』。
いつの間にか(2001年8月31日)に閉園していたんですねぇ…
あのフラミンゴ達は今どーしているんだろう…。懐かしいなぁ…。
なーんて想い出していると…Wiki下に素敵なサイトさん見つけました。
Party Island    大切なものはフラミンゴから教わった…
(素敵なサイトさんなので、勝手にリンクさせていただきました。)
そして、もう1つ…
判別し難いけど『昭和二十八年八月竣工』とあります。


ハイ、またまたお世話になります…『ORJ』の『隧道データベース』で…
あれれ!?該当する隧道名がありません!!

ところが…
[箇所名]が先ほどと同じ“勝浦市浜行川”なのがもう1つだけ

  隧道No.472…行川(隧道)
  延長182m、幅員5m、限界高4.5m、竣工年度1953(昭28)、覆、舗装

とあります。
そのNo.472の延長・竣工年・場所を考えると…
この『行合隧道』と一致します。普通は『行川隧道』にしますよねぇ…。
今度は結構長いし…
こちら側だけカーブになっています!
ハイ、その反対側から覗くと…こーなります。
凄いでしょ!?…車幅だけで全く余裕の無いギリギリ2車線なんですの。
いくら照明が完備されているとはいえ…
隧道の外からでは中に歩行者が居ても発見し難い位に暗いし、この狭さです!

それに…旧道といっても意外に交通量が多いのでこうして撮影しているのもヒヤヒヤなんですよ。(画像は車の無い時を狙って撮影。)
まぁ…私も時にはその1台でしょうか。
バイパスを自動車で走行中に…
『枯葉マーク』の軽トラックを先頭にノロノロの車列を見たら咄嗟にこの旧道に回って…
この先の行川アイランド前の交差点でそのバイパスと合流して、バックミラーを見たら…
「ヨッシャー!!」って、ガッツポーズ♪する為に通ったりもしますが…。
でも場合によってはその行川アイランド前の信号機の意地悪によって、再びその車列の最後尾に並ぶ事も度々…。チクショー。f^^;
ハイ、右の地図で[+]の位置で撮った北側坑口です。([+]の位置は自信ありますので、地図を思いっきり拡大してみて下さいネ。)
もちろん、こんなに狭苦しい恐ろしいトンネルを歩かなくて済む様に…平行してちゃんと歩道のトンネルが完備されております。(画像左の穴)

(明治の地形図を見ながら、目の前のトンネルを見ながら…)
「あんれ?………???」

ハイ、ここでちょっと疑問が発生します…。
「この穴ぼこ、明治隧道にしては長過ぎないかい?」
「オマケにあんなカーブした隧道って、明治では考えられなくね?」
ふふふ…そんな楽しい事を考えたもんだから夜も眠れません。
(↑でも大丈夫…昼間、ヨダレ垂らして寝ているもんね。f^^;)
疑問ついでに…扁額をズームイン。
ツタが邪魔で読み難いんですけど…。あっ!判った!
『ゆきあいす゛いどう』でしょ。あらら、そー読みますか。
『行川』の“行”は分りますけど、“合”はどっからきたんでしょうか?

もしかしたら…
この歩道のトンネルが元々は明治隧道だったのでしょうか………???
扁額を見ると…
『ゆきあい歩道トンネル、昭和53年3月竣工』とあります。
スゲ━─-…長い━─-…(エコー付き)

向こうからの光が見えないのは、地図の通りに嫌らしく曲がっているからですね。
立地条件からしても…
やっぱりこれは明治隧道じゃないですね。


(またまた余談ですが…)
どうして地図では…
車道のトンネルは  )======(  で、
歩道のトンネルは  )                      (  
になっているんでしょうか…?
歩道のトンネルは素掘じゃないですってば。
因みにウ●ッちずでは歩道トンネルの坑口すら描かれてないんですの。

となると…
後は『現トンネルの上』ってやつですか。
おっ!?現トンネルの上の陰は何だ?
ズームインしてみました…。
掘割の址っぽいな…そーではない様な…。
しかし…どーやって上に行きましょうか…。
おや?上の画像左に階段が在るじゃん!
 
という訳で、明治の地形図に描かれている隧道の記号と現在のトンネルとの関係が気になって始めたのが今回の調査であります…。
次の頁で、緊張ドキドキの後に本格探索が始まります…。(あら?何でそんなに緊張しているの?それに突然、髪型とか服装を気にしだすし…)


【お知らせ】(別にどーでもイイ事なんですが…)
もうお気づきの方もいらっしゃると思いますが…トンёコレでは画像のファイル名『tentative-name_obsolete-tunnel_yukiai091122_116.jpeg』などで、……yukiaiの後の6桁の数字『091122』は画像を撮影した日付(2009年11月22日)を意味させております。今まで全てのレポートでも有効です。
本レポートこの1頁後半では、探訪日とそれ(撮影日)が一致しなくなっております。ハイ、探索当日に撮り忘れたから後から撮りに行った訳でした。
 
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