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《怒田の水没隧道》(仮称) 【4:なるほど!ここに出るのネ!】

探訪日:2009. 1.12
提出日:2009.12.31
 
念願の『水没トンネル(隧道)』は当初の予想とは違って、長靴でもなんとか冷たい思いをしないで完抜する事が出来ました!!
さぁーて…目的は達成されたから後は引き返すだけ!?なんですが…折角ですから、もーちょっと先が見たいので進んでみましょうね。^^;

隧道を抜けた先は右へカーブしています。
その先は…この様な道だか何だかよくわかんない坂を下ります。
ここを見ると、やっぱり道なんですねぇ…^^;
先ほどの水没隧道を考えると、昔はもっと道幅が広かった筈ですね。
小川か沢を下っている様な感じ…
でも…時々、道だった事を思い出してくれたりします。

そんな道を進みながら…私はGPSを持っていないので現在地は何処だかハッキリしていなかったんですけど、ここなら完璧に判りました!
右にカーブしたと思ったらその下でヘアピンカーブで折り返す…。ハイ、現在地は右の地図で青いマークの所でしょう。

そのまま左下を見下ろすと、ピンクの線みたいに続く道が見えます。
先ほどの地図で青いマークの位置がそのヘアピンカーブの折り返し地点なんですが…ご覧の有様です!(振り返って見ました。)
そのヘアピンカーブの先は…路面はボーボーですが右に法面です。
進みながら左上を見上げると…先ほどこちらを見下ろした道の道筋がハッキリ見えます。(線描かなくてもお分かりになると思います。)

やがて鬱蒼とした森を抜けて明るい道になります。
タイヤが通った形跡もハッキリしてきました。
ただ…ここ、左側に全く余裕無しです!!

温かい陽射しに包まれて快適に進みます。
因みに現在時刻は…13:38。
足元には倒木です!
でも、オフロードバイクならこんなのなんともないでしょうね。
この後、私はつまづいてコケましたけど…f^^; 痛てぇーつーの!
その先には、何やら暗い陰が見える…道はそこへ突っ込んでいる!?
その陰の中は緑のトンネルです。
どうしてここだけこんなに竹が成長しちゃったんでしょう?
その緑のトンネルを抜けました。
現在地は今までの景色と航空写真を見比べるとズバリ【ここ】でしょう。
道は、地図の通り右へと緩やかにカーブしています。

さてここで、後ろを振り返って見ました。

この辺りは“怒田”という地名が付く位ですから…田んぼが盛んだったんでしょうね。
そういえば…先ほどの倒木の先も田んぼの形跡が残っていました。
現在は全て廃田になっているんでしょうか。
航空写真で見ても、影と日向がハッキリ分かれているこの場所。
足元の水溜りは一部凍っています!

やがて以前に見た事がある場所に到着!
現在地は航空写真でズバリ【ここ】でしょう。

ところで…“以前に見た事がある”と宣言しましたが、それは自動車でここへ来たんです!
この度、当時の動画(2005年撮影)が見付かりましたのでお披露目します。
(携帯電話で撮ったので画質は最悪です!)

砂押地区からここまでの車載動画
地図上では上の青いマークから[+]まで)

ここにその自動車で到着する(証拠)動画

まぁ…道が崩れていたので、ここまでで諦めたんですけどネ。f^^;
現在地は右の地図で青いマークの辺りになります。地図の右端が、先ほど“∩で入って△で出た”水没隧道になります。
現在地から北方向へ道なりに進むと…このレポート1ページで入れなかった《あの隧道》へ到着する訳です。

ついでにここまで来たら…
2005年4月10日にこの少し先の分岐を左へ自動車で行って、調子に乗ってグイグイ進むと…最後には泥濘にハマッて差さぁー大変!?
そんなマヌケ動画も出さずにはいられない…f^^;  【怒田の廃道で泥濘にハマる車載動画】 (こちらの地図で上の[+]から青いマークまで)
まぁ…しばらく色々と苦労して脱出しましたけど、その先は行止まりでした!
あっ!?これ以前にも、この怒田のどっかでこーやってスタックをやらかしていましたっけ?(当時は撮影出来る物を持っていなかった。)
確か次の日は出勤日で…もし欠勤すると大変な事になる日の前日、しかも夕暮れ間近だった様な…バカは同じ事を何度も繰り返す…てか!?


さて、このまま寂しい山道を引き返すのはちょっと嫌だなぁ…。
国道410号へ出て平山・広丘を回って、スタート地点に止めてある自動車へ戻る事も一瞬考えたけど…すんげぇー遠いですね!
やっぱり、もう一度来た道を帰りますか。^^;

ち・な・み・に…現在時刻は13:47。
時より曇り空になると、15時過ぎだと錯覚してしまう冬の獣道…。

折り返し…現在地は右地図で青いマークの辺り。左に見えている廃小屋は、きっとこの辺りで使用する農機具や材料を入れていたんでしょう。
また余談ですが…昔(1999年頃?)はこの辺りまで自動車で来れた気がしますが…もしかしたら勘違いでしょうか?当時は初代ドミンゴで。

その廃小屋の先には、先ほどコケた倒木。f^^;
それを越えると、陽射しがなくなる山道に突入する事になります。
そんな日陰区間に入って、左側には…
ここにも房総でお馴染み“小さな素掘水路隧道”が開いていました。
先ほどは気づかなかったんですねぇ…。
この中をいちいち見ていたら、キリがないのでそのままパスします。
例のヘアピンカーブを越えた辺りです。
実際の明るさはこんなもんで、それでも現在時刻は14:00。
再び隧道へ到着した頃には、だいぶ陽が傾いていました。

再び、△&水没を楽しむ事になります。
そして、もう一度△から∩へ。
何となく△の穴って落盤し易い気がします…
きっとこの東側坑口付近も落盤したので、
コンクリ巻き立てにされたんでしょうね。

この後、帰りの動画【西側から入る動画】を撮る為にもう一往復しました。
(トップページの動画はこれと同じです。)

さて、その動画で隧道を抜けた後に思わぬイベントが発生しました!?

イベントっていうとちょっと大げさですけど…

私が動画を撮りながら隧道を抜けたら…
前から力強いエンジン音が上って来る!?
突然の出来事に一瞬ビックリしましたが、直ぐに判りました!
ここへ来る途中… 怒田5隧道 の中でお会いしたオローダーの方2人に、この隧道の前でまたお会い出来たんです!!

私の人見知りな正確と、朝からまともに誰とも話していなくて一瞬かなり緊張しました。
しかし、エンジンを止めて彼らの爽やかな挨拶と自然な優しさを感じると…直ぐに私の心は安心し、イイ気分にさせてくれました♪
折角こーしてお会い出来たので、記念撮影。

お陰様でこの後の足取りは…疲労、空腹、寒さ、闇の恐怖など何処へやら。v^^v
記念撮影の後、「この先は問題無く通り抜けできますか?」という彼らの質問に私は「ハイ、全く問題無く抜けられますよ。^^/」と答える…
彼らが丁寧な挨拶をしてくれて、水没隧道の中へと走り去って行く…。

Σあっ!?そうだ!この先で工事しているのを忘れていました!
慌てて叫ぶものの、既にその声は彼らには全く届かない…。(ToT);
きっと、砂押地区や大森地区へ出る寸前の所で何らかの問題が発生したに違いない…。
工事中のど真ん中に出てしまって…「コラーおまえら!(怒りマーク)」
又はどんな走破技術を持ってでも越えられない谷が出来ているとか…

何だか騙した感じで…この後、ずーーーとそれが心残りでした。
もし、これをご覧下さっていましたら…あの時はゴメンナサイm(_ _)m

さて、静まり返ったその坑口の左側…
今はちょっと湿っているだけでしょうけど、時期によってはここが滝になっている様です。
この水が洞内へと流れ込んだりするから…
“水没トンネル”になってしまう訳ですね!
困った事に洞内の方が低いし、西側坑口には土砂が堆積してダムになっていますから。

ところが…今日は水没が少な過ぎません?
そう思っていると…さっきから気になっているのが、その左へと続く溝なんですよね。
もう一度、坑口前とその溝を見てみよう
後日その正体が判ったのですが…
その訳は…ここここここここもどうぞ。
(勝手にリンクです。問題なら止めますね。)

こ、これは素晴らしい!!
お陰様で私も楽々隧道を抜ける事が出来ましたし、これにお世話になった方は沢山いらっしゃると思います。

そういう訳で、この坂の倒木が幾つか切断されていたんですね。
因みに…あの2本の倒木はバイクに乗ったままでも身を低くすれば問題無いと思われます。
その坂を下る途中で、左へと上る細い道を発見!!
先ほどお会いしたローダーの方は…
こちらから下りて来て、 怒田1隧道 方面へ行って、
そしてまた戻って来たら…今度は水没隧道へ向かった様です。
(だから水没隧道の前でお会い出来た。)
時刻は…15:03。
15時を過ぎると、いつも通り山の中は急に暗くなるから恐ろしい…
でもね、当日は先ほどのイイ気分でそんなのはどーでも良かった♪

この後は暗い森をしばらく進んで…
 怒田5隧道 から 怒田1隧道 へと抜けて帰る訳です。

あっ!どーせその隧道さん達をまた抜けるのなら…
SDメモリも動画が7分程度撮れる位残っている事ですし…
怒田5隧道から隧道部分だけに的を絞った動画】を撮ってみました。
 
ハイ、という訳で…“気になる所は自分の足で見に行きましょう!”が今回の探索のテーマでありました。
そういえば…今回の『水没トンネル』を造った方(自称)を以前のレポートでご紹介したのを覚えてますでしょうか? 答え:【そのレポートの一番最後】
じいちゃーん、遂に見に行ったヨー!しかし…このルートは隧道と共に、いつどういった目的で造られ、いつ廃道化したのか?それは謎のまま…。
レポートはこれで終わりです。最後までご覧下さいましてありがとうございます。
 
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