《三川隧道》(仮称) 【1:あーあ…やっぱりネ。誤植だよ!?】

探訪日:2010. 1.17
提出日:2010. 2. 7
修正日:2010. 2.20
 
目的物件の地図
上のYAHOO!地図以外の地図サイトはこちら⇒【Googleマップ】【Mappion】【ウオッ!ちず】
 
2010年1月、新年4日目にして“絶対に開削済だと思っていた場所”で明治隧道を発見して「今年も面白い事になりそうだ♪」と浮かれている頃…
毎度お馴染み『隧道道』のdoondoongoo氏から奇妙な内容のメールを貰いました。
彼は…上のデカイ地図の場所が“どーも納得いかなくて気になる”というんです!?………あにゃ?こんな所にトンネルなんて在ったっけ?
ここは…“全線舗装されていて景色も面白くなく、見所無し!”と、オローダーや林道マニアの間で不人気の林道『三川線』の途中になります。
因みに…私はこの林道へ行った事はありませんでした。数年前に「トンネルは1つも無く、全線舗装済み、全然面白くない!」と聞いていたからです。
Yahoo!地図で航空写真と地図を交互に切り替えて見ると…うほ?ホントだ!こりゃー変だ! 隧道(トンネル)なんて無い筈なのに描いてある!
まず考えられるのは地図の誤植か、現在は隧道が開削されて切通しになっている、地図と現地で線形が違うとか、よくあるパターンですよね。
(もしYahoo!地図が更新されてしまい隧道記号が無くなってしまいましたら…こちらをご覧下さい。このレポート作成時の様子です。)
毎度の事ながらそーいった地図の悪戯に騙されて、現地で空振りに終わる(最近は北陸で3箇所とかね。)ってのは慣れたもんですけど。f^^;
実は…この探索の数日前に初めて購入した鉈(ナタ)を早速試したくて、激藪を求めて出かけたのが今回の探索だったりもします。

そんな訳で2010年1月17日…今日も千葉県内の隠れた物件(いわゆるネット初物)を求めながらウロウロしていました。
君津市の細野集落から林道『三川線』を南下して右の航空写真で青いマークの場所にやって参りました。(画像はそこから下(南)向きに撮影)
因みに、ここに自動車を止めたのが朝9:30頃なのですが…この画像は13:06に撮ったものだったりもします。
何故かって? そもそも隧道が在るなんて1%も期待しないで探索してまして、この日はいわゆる“下見”ってやつでした。
当然これらの画像を使用してレポートなんてする気も無く…気になる適当な所を“ちょっと撮っただけ”だったのです。
つまり…隧道なんて無かったヨ!っていう証拠を情報提供元であるdoodoongoo氏に報告する筈だったのがこのレポ1ページであります。^^;
(本来なら撮影時刻は探索が進むに連れて過ぎていく筈ですけど、そんな訳でこのページの撮影時刻が探索の順序とは一部一致しません。)
えっ?今回はボツネタだろう…って? ハイ…。f^^; もし、そうであるとしてもここに疑問をお持ちの方のお役に立てる筈ですよね。きっと…。


詳しい地図で見る ←動く現在地はこちら
そんな気持ちで…上の画像の切通し部分に近づきました。事前に航空写真で見たとおり切通しが在って、その先は急に下っています。
現在地は右の航空写真では青いマークから右下(東南)を見ている事になります。そのまま地図に切り替えると《こーなります》。
この様に“浅い切通し”だと、元々隧道なんて無かった気がしないでもない…。地図の線形も変だし、やっぱり誤植の可能性が高いですね。
次に思い付くのが…その地図の通りに、切通しの左にひっそりと廃隧道の坑口が残っているんじゃないか!?というパターン。
当然正面にも突っ込みましたが…目の前はただ山の斜面で、その左下はストンッと落ちた先に森が広がっているだけ。
航空写真では判り難いんですが、現地で左のガードレールの先は陽の当たらない深い谷になっています。いくら見下ろしても気配は無いね…。

とりあえず…反対側の坑口が在りそうな場所まで下ってみましょう。
(ここからは林道を進んだだけなので画像も節約サイズになります。)

画像は航空写真で日陰と日向との境、くの字形カーブの所です。
そのくの字形カーブの先も結構な勾配で下っています~。
その先は左へカーブして、まだまだ急な坂は続きます…。

本当にこの辺りにトンネル(隧道)なんて在ったんでしょうか?
そもそもトンネル(隧道)なんて全く要らない地形だと思うのですが…。

トンネルも隧道も同じ意味だけど…
やっぱり今回も隧道の方が似合うかな?以後“隧道”で統一します。

その位置で後ろを振り返って見ました。
あの切通しは、隧道を開削したものじゃなさそうですよね…。

因みに…両脇のガードレールの後ろはストンッと谷になっています!
上の画像、右側のガードレールの後ろはこーなっていまして…
本来ならこの方向に坑口かそれに続く道が見える筈なんですけど…
肉眼で見ても、ただの藪だけで何ーんにも予感がしないのです!

もちろん、この下を見下ろしてみましたが…
ただの沢が流れているだけでした。
その沢はこの道の下を暗渠で潜っている様です。

これといって何の発見も無く右の青いマークの位置まで坂を下りてきました。画像は坑口が在りそうな方向(右の地図では上)を撮りました。
もし地図が嘘じゃなかったら、この方向で道が分岐してその先に隧道の坑口が見えてもイイ筈なのに…。

もちろんその先もこの林道はまだまだ続く…。
因みに…この三川林道の終点まで綺麗に舗装されています。
この先で見所は、廃田や(進行方向左の)川廻しぐらいでしょう。

そういえば…明治の地形図にもこの道は破線で描いてありました!
(残念ながら隧道記号は描いてないみたいです。)
ですので、当時からこんな山奥まで農地を求め人々は入っていたものと思います。もし、それが事実ならば…収穫後の重い荷を里へ大量に運ぶのには、せめて荷車ぐらいは欲しい距離ですねぇ…。
そーなると、先ほどの坂を重たい荷を満載して登るのはちょっと大変かも知れない気がします。だから当時の人々は隧道を掘った…ってね!

そんな空想をしてみたものの…この遥か手前にも急坂が在ったので、
どちらかというと…あっちの方(地図)こそ隧道が必要な気がします。
となると…うーん、やっぱりここの隧道説は可能性低い気がします…。


そんな事を考えながら…
地図の青いマークの位置(2つ上の画像)
のガードレールの切れ目に入ってみる事にしました。しかし、その先は藪だけ…

かつて道が在ったかどうかは…微妙。
何となく平地がガードレールの斜め右へと分岐しているとも見えなくもない…。

まぁ、こーゆーのに突撃してもハズレf^^?
っていうのは今まで何度もあった訳で…f^^;
今回も騙されてみるとしますか。
早速、鉈(ナタ)を鞘(サヤ)から取り出す。
目の前の細い竹をエイッ!(空振り…f^^;)
もう一度、ソリャーっ!(スパッ切れた!)
おぉ~!鉈って凄い~♪

実は…1月早々にmaxdogACD氏と一緒に
“とんでもない荒れ方の廃道”の先に在るかも知れない廃隧道を探索しておりまして…
(このレポ作成時は彼の多忙の為一時中断)
その超激藪の廃道は鉈と鋸が無いと前進が困難でした!(荒廃度が千葉県でトップ?)
その時に私は鎌を持参したのですが…
maxdogACD氏が激藪竹藪を鉈でサクサク切り開く姿を見て「カッコイイなぁ…。」
「鉈って便利!鎌と違って収納も安全だし!」
そう思い、その後に鉈を購入したのでした。

ハイ、この日はその鉈で上手く切れる様に…
練習のつもりでこの藪へ突入しました。
(実はまだ、竹を一発で切れなかったり…。)

詳しい地図で見る ←動く現在地はこちら
上の画像で陽が射している辺りまで進むと…その藪はこの様に突然おとなしくなります。
現在地は右の航空写真《地図》で青いマークの辺りで、赤い線はここまでの軌道を描きました。
先ほどから続いた平地はここでストンッ!と終わり、この先は下の方に沢が流れています。
この画像に入らなかったのですが…右下には農機具(コンバイン?)が突き落とされています。(この日はそれを撮り忘れたので次頁で。)
正面左上には先ほどの林道が見え……ない。(肉眼ではガードレールがチラホラ見える。)

(おっと忘れていた!)そういえば…
ここへ隧道を探しに来たんでしたっけ。f^^;
思い出して印刷して持参した地図を見る。
先ほどの位置のまま右を向いたこの方向に隧道が在る事になっていますが…
確かにそびえ立つ岩肌と、その一部がはげていますけど…穴なんて見えないですYO!
それよりも、この先はどっちへ進むにも道らしき平地は続いていないですし…

そもそも今までの平地(藪化してるけど)
って、昔は田んぼだった気がします。
足元には農機具が転がっているし…。

この先は沢が流れています。その沢には隧道でも在りそうな雰囲気ですが…。

ありゃ!?ここも沢の“川廻し”が道路隧道って描かれているパターンなんでしょうか…?
(そのレポートもいづれ発表します。)

その沢に下りて左を見たのが左画像。右画像はその沢から右上(隧道が在る事になっている方向)を見ました。
その沢に下りて右を見た画像は…撮り忘れました。ゴメンナサイ。(その先には○形暗渠が在るだけでした。)右を見た画像】←2010. 2.20追加
《画像は横に2つ並べる為に小さくなっておりますが…の中の画像はクリックすると、もう少し大きいサイズが出ます。》

沢に下りたその位置で後ろを振り返ると…
ここまでは、正面の植物に覆われた傾斜を下りて来たのでした。
その斜面の向こうは藪になっています。

因みに…この画像左へ沢は続いていて、
ここから10m位の所に直径2m位
1.5m(2010. 2.14測りました
形暗渠が在る訳です。
(その暗渠画像は無し!)
その暗渠の画像】←2010. 2.20追加

ではもう一度、先ほど横に2つ並んだの画像を撮った部分に話を戻します。

その沢を左へ進むと…
この様な暗渠の坑口が在ります。

山へ突入する寸前の掘割みたいな地形で、
何となく隧道手前の雰囲気にも似ています。

この光景って…切通しか隧道が在った場所を埋めて暗渠を入れた様にも見えます。
もしそれが事実ならば、この沢はかつて道だったんでしょうか…?
その暗渠の上には…
先ほど歩いていた三川林道のガードレールが見えます。このページ上から6番目の画像
の位置を下から見上げている事になります。


この画像は当日に撮り忘れたので、その後
doodoongoo氏と探索時に撮って貰ったものです。(2010年1月27日撮影)

さて、その暗渠前から後ろを振り返る…。
中央に沢が流れていて、赤い矢印の様にここへやって来たのであります。

ここでYahoo!地図の線形を考えながら画像にそれを描いてみると…ウォーターブルー
の線の様に道が在る事になっています!
そして画像左の先に隧道の坑口が在る事になっていますよね。

しかし、どー見たってそんな道が在る様子じゃないです!(正面奥の暗渠の上は藪

直径2m位1.5mの形暗渠はピンクの辺りです。
その上の藪化している場所は暗渠工事によって本来の地形を失ったとも考えられます。


《画像の説明図を消す

とりあえず…
先ほどの…ウォーターブルーの線のとおりに激藪を進んで振り返ってみました。
(可能性0なので…進んでいた画像は無し)

この下も暗渠が潜っている訳ですが…
そもそもこの陸地は何の為に在るの?
その暗渠を覗くと…数十メートル先に川らしい景色が見えます。(これも画像は無し)
その暗渠を覗いた画像】←2010. 2.20追加

とにかく、この激藪で鉈を振り回すのがとても楽しくて…探索とかレポートの事なんて頭から消えているのでありました。f^^;


詳しい地図で見る ←動く現在地はこちら
暗渠の上の激藪を鉈を振り回しながら進み、先ほどから見えていた“緑のはげた”岩肌が目の前にそびえ立つ場所に到達しました。
この画像は…そこを90度右折れて、数メートル進んだ地点であります。現在地は右の航空写真《地図》で青いマークの辺りになります。
もちろん赤い線はここまでの軌道を描きました。といいつつ…当日は自分が何処に居るのか現在地は不明でした!
そろそろ…鉈を振り回す手が疲れてきました。
右利き用の鉈なので右手がくたびれて、仕方が無いので左手にバトンタッチしていたりもします。でも、そろそろ両手がクタクタ…。^^;

その先は…
また藪だよ!!
それに…
その藪の先は陸地が無いみたい!
下から川が流れる音が聞こえてくるし…。

両手がクタクタなので…
もう鉈を振り回すのも嫌になってきました。
それに、この先は見込みが無いですね…。
今日はそろそろ撤退しますか。
そんな事を考え始めた矢先…

Σあんだありゃ?

川廻しの隧道?
たぶんそーだよ。
そーに決まっているんだよ、ここまで道なんて無かったし…
それに川の音がこんなに近いからね。

とりあえず、鉈無しで突撃してみますか。
 
さぁーこの後、全く予想もしてなかったのに…事態は急展開!! もぉーこの嬉しさ、この感謝の気持ち、誰に話したらイイのやら…。



☆★☆ 次のページに行く前にオマケをご用意しました。^^/ ★☆★

ここから↓は私が2010年1月17日に単独で下見の時に撮った坑口前の様子です。
当初は、お蔵入りにするつもりでしたが…折角なので3ページを発表と同時に追加しました。

その坑口前の藪を越えて初めて見た洞内。

この瞬間に“これは川廻しの穴ではない!”
って確信したのでありました。
なんてたって、右のソファーが決めて。(笑)
この隧道には休憩施設も用意されてます!

因みに、そのソファーは…
近くで見ると、どうも元々は自動車のシートだった様です。

洞内左右の壁面に“入洞記念”に彫ったであろう先人達の文字を発見ので…私も洞床にやりたくなりました。
(その先人達の文字列は次のページでお見せします。)
まぁ…その後に踏まれて跡形も無くなってしまうんですけどネ。^^;

この隧道を発見当日(2010年1月17日)は、この数字より奥へは進みませんでした。
出来れば…(せめて)情報を提供してくれたdoodoongoo氏にこの驚きの瞬間を味わって欲しいし、私みたいな田舎のヘボサイトが独り占めするには勿体無い発見(他にも在ったかも?)だと思いまして…
ちょっとそれもあって…今回は我慢ガマン…。f^^;
(本当は一人で入るのが怖いだけかも知れない…。)
先ほどのは踏まれて消えてしまうのは分かり切った事なので…
では、その左側にやってみました。

それから一ヶ月近く経つ頃…2月14日に暗渠を撮った帰りにこれも見てみましたけど、何故か跡形も無くなっていました…。
(風が凄く抜けたりするので吹き飛んだのかな?)
1月27日にd氏が書き残した文字列(3ページでお見せします)はちゃんと残っていたのに…。

洞内の奥から続く直線のまま見ると縦でも収まる坑口。(左画像)
それを横にしたもの。もっとカメラを左へ向けるべき?(右画像)

つまり、そんな感じで洞内から見ると右へ曲がっているのでした。

もう一度洞内を見る。
待っててね!近いウチにまた来るからネ。

上の画像の位置で90度左を見ると…こーなってます!
初めはの向こうからここへやって来たなんて…訳ワカメ。w
とりあえず…17日はこのまま撤退しました。
 
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