《養老隧道》(仮称) 【3:何でこっちが荒れているのさ?】

探訪日:2008.11.23
提出日:2009.10.28
 
さてさて…隧道の長さとは無関係にやたら長くなってしまった本レポート。まだ2つほど忘れモノがありましたよね…もう少しお付き合い下さいませ。

という訳で…現在地は2ページのあの場所です。もう要らないかも知れませんが…とりあえず現在地は右の地図で[+]の辺りです。
今度は、上の画像の分岐を左へ曲がります。

さてさて…
その分岐を左折した直後の景色です。
地図にはこの道は描かれてないですよね。
ハイ、分岐から10mほど進んだら田んぼに出ました。
もうこれ以上進んでも面白そうなモノは無さそうなので引き返しました。

という訳で…
何か凄い発見が在った訳ではないんです。
ただ…気になった道は行ってみないと。^^;


さて、もう一つの忘れモノ…すなわち“あの隧道へ向かうもう一つの入口”を見てみましょう。撮影者は右の地図で[+]の辺りを北に向いてます。
という訳で、本当はこちら側から隧道へ向かうのが自然でしょう…。民家の近くをガサゴソする事になるのがちょっと抵抗ありますけど。^^;
因みに、ここから下の画像は…今回の探索(2008年11月23日)の後26日に撮影したものです。

ではここで…
『現在の地図』(Yahoo!地図)と、
『昭和58年の地形図』を比べてみましょう。

こうすると…
先ほどから問題だった“隧道の東側”の描き方の違いがよくお解りになると思います。

昭和58年当時は、本当にその道幅だったのでしょうか…?

では、その問題の東側から隧道へ向かってみましょう。
そういえば…先ほど隧道を抜けたその先は激藪だった筈ですよね。
果たして何処まで進めるんでしょう…。
と、思ったけど…
ハイ、電池切れです!(チクショー…)
その後、続きを撮りに行こうと思いながら…
そのまま、また秋を迎えてしまいました。

まぁ…このちょっと先は激藪だし…。
それに、隧道はもう堪能したし…。

後は、「ここを再び通るお客さんが増えればイイかな…。」という事でこれにて終了ー。
 
最後に疑問が残りましたが…今回の隧道は果たして明治時代から存在していたのかは定かではありません。(調べていません)
現在の県道168号線の様なルートが出来て…この隧道を通らなくなったのは、昭和の終わりから平成バブル期位だと思います。
大目に見積もっても…恐らく昭和58年までは現役だったと思われます。その後は…いつ、この様な廃道&廃隧道になったのでしょうか?
残念ながら…現地での聞き込みや、情報を調べていないので、今のところ謎のままでかなり中途半端な3ページですが…
とりあえず終了です。
最後までご覧下さいましてありがとうございます。
 
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